邦画を見ること自体が珍しいのに、歴史ものの映画なんて初めて見たかもしれません。
キムタクの話題作りやバラエティ出演にまんまと惹かれたからなのか、
ただただ休みの日に「映画とポップコーン」を楽しみたかっただけなのかはわからないですが、
3時間に及ぶ超大作の感想は…
え!?本能寺って京都なの!?
教えよ、グーグル!
さっそく聞くはグーグル先生。
日本語でもググるというスラングのような動詞がありますが、
ちなみに英語圏でも Google it. ってな感じで動詞になっています。
ちなみに、日本語のインスタ映えだって、英語圏では instagrammable という言葉があるほど。
国が変わっても、言語が変わっても、文化が変わっても、流行は言語化するっていう事実はかわらないのが人間の面白いところだなぁ~ってつくづく思います。
おっと、話は戻って本能寺(笑)
さっそくググってみると、今現在の本能寺は寺町通りにあるんだとか。
いや、確かに本能寺って書いてある寺ある!(笑)
幼馴染のララ氏だって、
そんなやつおる?本能寺って書いてあるやん。
という、始末。
だって、なんかあの本能寺と織田信長の本能寺が一致していなかったんだもの(笑)
大宰府だって日本中にいっぱいあるし、毘沙門や猿田彦って名前も日本中よくみかけます。
…確かに、これ全部神社だけど(笑)
でもでも、頭が勝手に織田信長の本能寺は岐阜あたりと勘違いしていました。
あぁ…中学校の社会の先生が聞いたらあきれちゃいそう。
中学の時なんて社会は5だったのになぁ。
夏休みの宿題で、井伊直弼の記事を書いて学年で3人しかもらえないオールAを取ったんだけどなぁ。
ごめんね、坪井先生(笑)
でも、あの本能寺は豊臣秀吉によって移転された後の本能寺。
ということは、移転前の本能寺はどこへ!?
石碑発見!
実際の本能寺の変があった本能寺は、油小路通り(あぶらのこうじどおり)と蛸薬師通(たこやくしどおり)が交わる交差点のあたりにあったんだとか。
四条通りから北上して、蛸薬師通りに入ります。
ずんずん。ずんずん。
すっかり変わった令和の街並みもあれば、京都らしい町家もたくさんある地域。
ちょっと屋根のあたりを見て歩いてみると、古き良き昔のお商売の面影が残っていたりします。
織田信長もそうですが、明智光秀だってこのあたりをそぞろ歩いたのかしら。
そして、歩くこと約20分。
おぉぉ!本能寺があった証拠がここに!
本能寺の跡には、立派な高齢者施設が建っていました。
ちなみに油小路通を南へ下がったところには、もう少し大きい石碑が。
織田信長は、きっとこの地で亡くなったと思いますが、でも映画のように誰も自分のことを知らない南蛮の街へ濃姫と逃げ出していたら…それはそれで素敵な生き方なような気もします。
このあたりに織田信長が眠っている!までは思いませんが、それでも約450年前に、あの織田信長が好町を、そしてこのあたりを歩いていたのかと思うと、なんだかすっごい不思議な気分。
そんな歴史ある京都に自分も住んでいると思うと、心なしか誇らしい気分にもなってきます。
という名の、ただのミーハー歴女ですが(笑)
それでも、これをきっかけにハマったのが司馬遼太郎の国盗り物語。
この日も、烏丸のスタバで一休みしながら読んでいます。
まだ織田信長の義父にあたる斎藤道三が若かりし頃のお話ですが、これがもうなんとも面白い。
日本のハリーポッターといっても過言じゃないかも!?
もうこの記事を書いている日はすでに1巻を読み終えて、図書館で予約した2巻を待っている状態。
早く届かないかしら~♪
そして、このミーハー歴女!もう少し温かくなったら織田信長の軌跡求めて、滋賀県は安土の街にいってみようとたくらんじゃってる!?(笑)
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