寄り道だらけな30代の生き方奮闘記 

【体験記】30歳ナースがコロナ禍に手術を決めた話

エッセイ

大学を卒業して以来、看護師・助産師として産婦人科に勤務し、たくさんの方の
看護をさせて頂いた私ですが、今まで自分自身が手術どころか大きい病気にかかって入院と
いうことも経験していませんでした。
そんな私が2021年2月に初めての手術・入院を経験!

あれから1年。
無事に乗り切った私に「頑張ったね~」なんて声をかけて、最近ハマっている‟ヤクルト1000”で乾杯しながら当時の思いを振り返りたいと思います。

笑いあり、涙なし(笑)のこの記事で、手術を迷っている方手術前で不安な方手術を終えて「頑張ったね」と労いたい方、そんな方々の支えになりますように.*

腫瘍を見つけたきっかけ

遡ること、2015年3月。
オーストラリアへの渡航前に、「卵巣や子宮だけチェックしておこ~」と思ったのがきっかけでした。
だって、特に卵巣はサイレントオーガンなんて呼ばれているぐらい、何も症状のないまま疾患が進行しやすい臓器。
何気ない気持ちで見てみると、
「うん、4㎝ぐらいの腫瘍があるね~」って、職場の先生に。
「え~~~」となりながらも、渡豪計画を知っている先生はとりあえず良性か悪性だけでも見ておこうかとMRIを勧めてくれました。

結果は良性。位置は卵巣なのか卵管なのかどこにあるのかわかりにくいとのこと。
卵管だったら捻転(臓器が腫瘍などの重みでぐるんと回転して捻じれてしまうこと。これが起こると血が流れにくくなって激しい痛みが伴い緊急手術が必要になることがほとんど!)する可能性も卵巣に比べたら低いし、ということでとりあえず渡豪計画は続行
一時帰国の度の、検診を誓って飛び立つのでした。

大きくなる腫瘍、でも手術は先延ばし

自分との約束通り、一時帰国の度に地元のクリニックで検診するも、
腫瘍の大きさはすこ~しずつ、すこ~しずつ大きくなる一方。4年の時を経て約10㎝大にまでなってしまいました。
幸運なことに、痛みや生理不順などの症状は全くなかったため、「急成長するまでは…」「症状が出るまでは…」と手術を先延ばしにしていました。
だって20代のときにしかできないこともたくさんあったんだもの!ワーホリとかね(笑)

頭の片隅に腫瘍のことは起きつつ、自然療法(ナチュラルレメディ)界では「腫瘍・炎症に効く!!」有名なアップルサイダービネガーを水で薄めて飲んでみたり…
はたまた、腫瘍のことをかなり片隅に追いやりつつ、スカイダイビングを飛んだり(笑)
(スカイダイビングをすることで捻転のリスクが高まると言われてはいないですが、なんだか、臓器が体の中で重力を無視して動き回りそうな気がして(笑) ごめんね、腫瘍ちゃん。でもスカイダイビングは最高の経験でした(笑))

かれこれ、6年近く一緒に付き合ってきました。

手術を決めた経緯

そんな私が手術を決めたのは、
日本に(不本意ながらも)長期滞在することになったから!

はい、理由はこれだけです。
2020年にコロナ禍の第1波が始まってまもなく、当時滞在していたオーストラリアから緊急帰国。
不要不急の病院受診は避けていたので少し落ち着いてきた秋ごろに受診。
ここ2~3年、大きさに変化のなかった腫瘍が少し大きくなっているかもね~、とのことでした。
すでに11㎝×6㎝程の大きさだとか。どーん。(笑)
それまでは10㎝×6㎝ぐらいだったのですが、私のシャイな腫瘍ちゃんは、不思議なところにあっていつも正確に測れないと言われていました。

幸いにもそれだけ大きくても全く症状がなかったのですが、(サイレントオーガンおそるべし!?)
先生にも「日本にいるなら今の間に(手術を)受けといたらどうや~。」と勧められ、
どちらにしろいつかは受けようと思っていたのもあり、「お願いします」と、ようやく決断することができました。

*卵巣や子宮の腫瘍などは、今の段階で症状がなくても、進行具合や状況によってはいつか妊娠を希望するときに流産や不妊の原因となってしまうことが多いため、妊娠をする前にどこかのタイミングで手術をしておいた方がいいと勧められることがよくあります。

手術が決まった12月、気持ちの変化。

そこから、大きい病院を紹介してもらい、術前検査等々。
どの先生にみてもらっても、造影MRIを撮っても、「どこにどんな大きさで腫瘍があるのかはっきりわからないので、切ってみないと何とも言えない」と言われるMy腫瘍ちゃん。
手術前にわかるのは、卵管内ではなく卵巣か、もしくは卵管の外にくっついているようにして存在する10㎝以上の良性腫瘍ということだけでした。
さらに、右卵巣に多嚢胞と呼ばれる排卵しきれなかった卵子の袋がたくさん残っているとのこと。子宮はきれいだったそうで、こちらは一安心!

正常な子宮の断面図


そのため手術は、
1、左卵巣+左卵管を全て取る
2、左卵巣を全て取る
3、左卵管を全て取る
4、腫瘍の部分だけとって、卵巣も卵管も残せる部分は全て残す

という4つの選択肢から、腹腔内をみた状況に応じて判断すると、そして、上記のどれかに加えて
右卵巣多嚢胞穿刺という、排卵しきれなかった卵子の袋を破ってしまう手術もすることになりました。
それが残っていると、微量なホルモンを出し続けるせいで、生理不順が起こりやすくなったり、人によっては妊娠しにくくなってしまうこともあるからです。
私の生理はな~んも問題なく来ていたのですが、もしかしたら卵のない無排卵月経だった可能性はあるかもしれませんね。何より、大きな症状なく頑張ってくれた身体に感謝!と、いうように、頭ではバッチリ理解できていても、やっぱりショックでした。
「卵巣や卵管が1つずつになったら、妊娠の可能性低くなるな~」
「今から奇跡がおきて腫瘍消えないかなぁ~」
「いつか右もなってしまったらどうしよう…」
やっぱりそんな思いがよぎります。

手術そのものが受け入れられないというよりは、「どうしてこうなっちゃったんだろう」「何が原因だったんだろう」そんな思いと、夜な夜なしてしまうネット検索スパイラルに陥っては、悲しくなっていました。

コロナ感染予防に努めた1月

手術までの体調を整えるのもとっても大切でしたが、それに加えて注意を払ったのが、
「新型コロナ感染予防」
当時は実家でリモートワークをしていたので、「極力外出しない生活」を家族にもサポートしてもらっていました。
ちょうど年末から年始にかけて、感染が再拡大していた時期。
気分転換にと、大好きだったカフェでのお仕事も控え、友人と会うのも控え、外出したのは術前検査やPCR検査のための病院受診ぐらい。
あとは入院生活に必要なものをEDIONに買いに行ったりなどでした。

術日が近づくにつれてちょっと緊張もしつつ、でも意外に気にしていなかったり、
12月のショックな気持ちに比べてだいぶと余裕をもって構えられていたような気がします。

もともと、東洋医学だったり自然療法のことをちょっとかじるのが好きなので、
「冷え性改善」のためにできることをいろいろ読んだり、買ったり、試している時期でした。

そして、2月。いざ入院へ。

いよいよ2月14日はバレンタインデー。
コロナ禍で面会は出来ないため友人から「元気になったら食べてね」「手術頑張ってね」とメッセージ付きでいただいたチョコレートやクッキーをたくさんカバンにつめて逆バレンタインデーを楽しみつついざ病院へ。

…の前に、いつものように予定時刻よりだいぶ早く着きすぎた私と母は病院の前の喫茶店へ。
同じく看護師の母。
どーんと構えつつも少し隠しきれていない心配な顔色を横目に、2人でちょっと薄めのコーヒーを堪能しました。きっと私も緊張していたんだろうな。


(何歳になっても、娘なんだなぁ。)と少ししみじみしたかと思いきや、それを逆手にコーヒー代をちゃっかりおごってもらい、ようやく病院へ。
コロナ禍のため母が来れるのはここまで。
荷物を預かり、手を振り、産婦人科病棟へと入っていきました。

穴があったら入りたくなる手術直後のお話はコチラ↓



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