世界を旅した30代女子の日常ラプソディー!?

真夜中に母がERへ。思い出のうな重は安心と混乱でちょっぴり涙の味がする話

エッセイ

冷凍庫をあけると、大きな一匹の鰻の蒲焼があります。
ふるさと納税でもらってからしばらくたっている鰻。
なんだか普通の日に食べるのはもったいなくてついつい手を付けずじまいだったけど、今日はなんだか1匹まるまる調理したい気分。
そうだ!うな重だけじゃなくて、うなぎの茶碗蒸しだって作っちゃおう。

この間川越で食べたうな重や、春に母と一緒に食べた老舗の鰻屋さんが思い出されます。

そんな母は、今、痛みに耐えながらリハビリを頑張っています。

夢と現実をさまよう昼下がり

とある5月の下旬、快晴の日。
珍しくポケットの中で携帯が震えます。
取り出してみると「母」の文字。昼間に電話なんて滅多にかかってこないのに何事だろう。
なんだか少しだけ嫌な予感を抱えながら、電話にでると、そこには弱弱しい母の声がありました。

「昨日ね、お母さんね、事故にあっちゃったの。大丈夫なのよ。大丈夫なんだけど、ER(救命救急センター)にいるの。」

母も看護師ですが、私だって看護師。
今は地域の産婆さんとしてのんびり仕事をしていますが、一時は病院で働いたこともありました。
母が喋れていること、でも息苦しそうな声。そして、ERにいること。
いろいろな可能性が頭を一瞬で駆け巡り、聞きたいことがあふれ出します。

ゆっくりゆっくり、絞り出すような声で聴けたのは、深夜の勤務を終えて帰宅のために乗っていた送迎バスが事故にあったこと。母の身体は車から投げ出されたこと。重症だけど後遺症は残らないこと。
か細い母の声は、喋れている母がそこにいる安心感と、それでもいつもの母の声でない悲しさを次から次へと休むことなく運んできます。
一粒でも涙が流れてしまうともう喋れないと思った私は、上を向きながら「うん」と声を出すのに精いっぱい。
なんとか、なんとかその8分間の電話を終わることできました。

その後、もう少し詳しい説明を聞くために母の夫に電話をかけます。
私のお父さんではないけれど、母の大切な家族。
何度も母に「キキちゃんに電話をかけようか!?」と聞いたのに、母がとりあえず落ち着くまではかけないで、と止めたそう。
少しバタついていた私が過度に心配しないように、落ち着いてから報告したいと思ったそうな。
何も悪くないのに「ごめんね、ごめんね」と泣き出す彼のその声に、とうとう耐え切れず涙が溢れてきてしまいました。
2人共喋れなくなってしまい、「またかけますね」といって電話を切ります。

そのあとは近くのベンチで休み、動揺している心とあふれる涙を落ち着けます。
ここは5月の京都。
元気いっぱい楽しそうな修学旅行生達が不思議な目で見ているけど、気になりません。

近くて遠い母のいる病院

コロナ禍で会えないことは頭でわかっていながらも、いてもたってもいられなくERにかけつけます。
何か奇跡が起きて母に一目でも会えないか…
どんな点滴が入って、どんなチューブが入って、肺の損傷はどれぐらいなのか。
ERの重々しい自動ドア。
私と中のスタッフを唯一繋いでくれるインターホン。
面会はできないかと懇願して数分後、ドアの向こうから看護師さんがやってきます。
とても悲しそうな顔で、ERは重傷者が多いためどうしても面会はできないこと、そして詳しい母の状況を説明してくれました。
病院の廊下にポツンと立ち看護師さんの話を聞いていると、少しずつ母の状況が現実味を帯びて心に重くのしかかってきます。
看護師として想像できる現状、娘としての悲しみ…たくさんの感情が溢れて、その開かないドアの前で泣き崩れてしまいました。

奇跡的な回復

その日の夜は母の姉妹と連絡をとったり、昔からの友人に泣きながら話したり、ショックな気持ちや不安を吐露することで、なんとか自分を保つことができました。
何も知らない友人からくる、何気ないメールに助けられることも。
ドバイで会う約束をしていた友人2人にも連絡をいれます。
肋骨はLibだっけRibだっけ?肺はLung?Rung?
日本語でさえ上手にでてこないんだもの。英語なんて出てくるはずもない。

週末には新幹線で出かける予定も入っていて、行くかどうかもギリギリまで迷いながらも
「予定してた旅行は行くのよ、ドバイも行ってね。大丈夫だから。」
という母の思いも受け止めて決行することにしました。
病院には行けないし、家に1人でいる方がどんどんどんどん沈んじゃう。
何か連絡があってもすぐ取れるように、普段より携帯をしっかり握りしめて出かけました。

幸いにも旅行中に届くのは、母の回復が順調という報告ばかり。
少しずつ、少しずつ、安堵感が胸いっぱいに広がっていきます。

ものの数日もすると、母が自分でLINEを打てるようになり直接連絡をとれるようになりました。
母もベテランナース。詳しい状況を教えてくれます。でもナースであっても私の母。大切なことや不安を隠して話していそうなのでちょっぴり複雑。

でも、追加の大きい手術などもなくあれよあれよと立てるようになり、歩けるようになりERから一般病棟へ転科。
肺の損傷も手術なく経過観察ということになり、そこから数日後には退院に至りました。

退院後の母に会う

退院当日。
なかなか「家に着いたよ」の連絡がなくって、電話をいれます。
「たった今家に着いたのよ。」と母の声。肺がダメージを負ったことで喋ると息苦しくなるようで、電話は控えていたので事故の日以来の母の声。
いつもの母の声がこんなにも嬉しいなんて。

仕事を終えて、はやる気持ちを抑え実家に向かいます。
「退院の日は身体が疲れているだろうから、休んでていいよ。寝てたらまた日を改めて来るからね」っていうのに笑顔でドアを開けてくれる母。
全身の怪我や顔のあざ、痛々しい姿を想像したけれど、思った以上に元気そうでとっても安心しました。よかった、顔を見た瞬間に泣かなくて。泣き虫な娘の姿はまだ今はみせられません。

「夫にウェットティッシュ持ってきてっていったのに届いたのは便座クリーナー6袋だったのよ!」なんて笑い話ができるくらい持ち前の明るい母がそこにいてくれました。
肋骨や鎖骨はひびが入るだけでも痛い場所。全体の半分以上折れているんだからとっても痛いよね。
それでも心配かけないようにと振舞う母の姿に「この人の娘でよかった」とこれほど強く思ったことはありません。

ちょこちょこと立ったり座ったりする母に「いいから座ってて」と声をかけ、「お見舞いでいっぱいもらったの〜♪」と嬉しそうに洋菓子の箱を開ける母に「今は血糖値があがりやすいんだから注意してね!」と声をかけ、まるでナースと患者さん。
疲れさせないように21時には出ようと思いながらもついつい長居をしてしまい気づけば22時前。
「今日は早く寝るのよ、また来るからね」と実家を後にしました。

「また」がくる幸せ

母が事故にあった日は、たまたまお昼を一緒に食べていた日でした。
夜シフト前の2人。近くにあるのに今までいったことのなかったファミレスでハンバーグを食べて「またね」と駅前で別れます。

何気なく「またね」が言える日常が突然消え去りそうになるなんて。

もしその直後に事故に巻き込まれていたら、「なんで1分でも早くお店をでなかったんだろう」「なんでもう少し一緒にいなかったんだろう」とずっとずっと悩み続けていたかもしれません。

あの、ハンバーグを食べている母の笑顔、仕事の愚痴、最近美味しかったコーヒーの話。
「また連れて行ってあげるね」って話してたのに。
世界中の誰もが想像していなかった未曽有のパンデミック。何があるかわからないから行けるうちに移行ねと北海道旅行を予約してから2週間もたっていませんでした。

何があるか、本当にわからないんだね。

それでも、少し山あり谷あり紆余曲折しながらあの日約束した「また」がやってきたことが、嬉しくてなりません。
絶対なんて言えないけれど、「あのコーヒー屋さん」も「あの北海道旅行」も遅ればせながらでもどうかやってきてくれますように、とただただ願うばかりです。

巣入りの茶碗蒸し。でも幸せ

ここ数週間のジェットコースターのような気分で乗り越えた日常を思い出しながら、鰻をグリルでじっくり解凍します。
レシピ通りに出汁と卵は3:1。かと思ったら電子レンジの場合は2.5:1がいいのだとか。
あらあら、もうチンし始めちゃったよ。きっと分離しちゃうかな。
30分吸水させたご飯を鍋で炊いて、金沢で買ったお吸物にお湯を注ぎます。

ピー。ピー。ピー。
茶碗蒸しの出来上がりを教えてくれる音を合図に茶碗蒸しを取り出すと案の定、卵は巣だらけ、出汁も分離しています。
いいの、いいの。きっと味は美味しいはず。

即席ながらも丁寧に用意してみたうな重ランチ。温かさと柔らかさがとっても美味しい。
1口1口噛みしめながら、少し疲れた私も十分労います。

「また」リハビリがてらあの「かねよ」にも行こうね。
今度は私のおごりでね(笑)

母と私のプチ京都観光や親孝行のお話はコチラ.*↓



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